誤解が解けてうまくやっていけた

これまで勤めていた学習塾が、突如として少子化の影響で閉鎖されてしまった時の喪失感は、言葉では言い表せないほど大きなものでした。ただ講師として仕事を毎日こなすだけではなく、生徒やその親との交流も含めて、さまざまな人間関係まで終わりを迎えてしまったのです。おまけに、翌月からの生計を立てる手段が失われ、まさにわらにもすがるような思いで、時給がとても良かった食品工場でのアルバイトに応募しました。

面接に応じてくださった現場責任者は、塾講師をしていた私の人当たりの良さを評価してくださり、ぜひ働いてほしいと即決採用してくださいましたが、工場内の様子を案内しつつ、本当にこれまでのスーツにペンを片手に教鞭をふるっていた仕事から、素手で食品を扱うきつい体力仕事ができるのかと、何度も親身になって心配そうに尋ねてくださいました。実際に現場で仕事を開始した時も、主に乾物の海産商品を、いろいろな調味液に混ぜて、佃煮などを加工していく業務だったのですが、調味液を含んで重さを増した加工物の大量生産は、腰にも響く大変な力仕事で、初日から思わず音を上げそうなきつい仕事でした。仕事を終えて、家に帰ったら、まずは風呂に入って身体をほぐし、家族に腰を揉んでもらいながら、すぐに床に就き、慌てて翌朝からの仕事に備えるという日々が続き、しばらくは家でテレビを見てくつろぐ余裕さえない、体力的に厳しいアルバイトだったのを覚えています。

大勢の正社員に交じって、年末年始にかけての季節労働者として入った少数のアルバイト社員は、だれもがすぐに正社員の方々の噂の話題に上り、とりわけ異色な教育業界から飛び込んできた私のことは、正社員の皆さんから興味津々で見守られる存在だったようです。学生時代に陸上部だったため、たとえ体力的にきつい仕事でも続けていける自信はありましたし、時給が非常に良いのには理由があるはずだと、体力仕事を覚悟して始めたアルバイトではありましたが、長年の塾講師生活で、自然と人に物を教示するかのような物腰や話し方が見についてしまっていたようで、それが一部の正社員の方には、まるで現場仕事の自分たちを見くびっているかのような態度にうつってしまったようです。

例えば、工場現場では、なにも仕事がないような時でも、とにかく自ら動いて仕事を探し、他の製造ラインをカバーするような働きが評価されます。でも、これまでの職場は、なにも仕事がない時は、次に備えて休みながら授業準備をするのが普通でした。ですから、自分の行なわなければならない仕事をさぼっているわけではないのに、なんだか偉そうにくつろいでいるかのような勤務態度に思えたそうです。さらには、いつも早出と残業が普通の正社員とは異なり、時給ベースなので、ほぼ定時で切り上げられるアルバイト社員は、別にそれが制度なので仕方がないことなのですが、腰の低い態度ではなければ、まるで遅くに出てきて早く帰る社長出勤のようなイメージさえあります。それゆえ、とりわけ異業種から入ってきた私は、偉そうにしているアルバイト社員という誤ったイメージが拡散され、とりわけきつい仕事を回されてしまうようになりました。

ところが、アルバイトを始めてから2か月ほどすると、周囲の見る目が温かいものに変わっていったのを感じました。やはり決して楽な仕事ではなかったため、アルバイトで入ってきた人の半数以上が辞めてしまい、そんな中で、黙々と言われた仕事はこなして続けている私のことを、意外にやるじゃないかと評価してくださる方が増えたようです。また、元々の性格と、大勢の生徒やその親との接し方から見についた、人当たりの良いコミュニケーションと会話スタイルが、どちらかというと怒鳴り散らしながら作業を進める現場仕事では、初めの頃は浮いていたようですが、時が過ぎれば過ぎるほど、大勢の正社員の方とも親身な話ができるようになり、なかなか良い奴だと思ってもらえるようになったみたいです。

多くの正社員の皆さんが、家では子どもを持ち、年頃の子どもたちを育てる難しさなどを抱えていたので、塾講師をしていた私への悩み相談なども、休憩時間中に持ちかけられることが増えました。それをすべて親身になって聞き、サポートしたりしたので、次第に仲も深まっていきました。現場では上司ですが、いざ仕事を離れると、私が教育アドバイザーみたいになるといった関係が自然に築かれるようになり、新しい塾講師の仕事が見つかって退職する頃には、大勢の正社員の友人に惜しまれ、たまには再就職後も遊びに顔を出すようにと声をかけられるほどの絆が深まりました。

どんなアルバイトでも同じだとは思いますが、とりわけ異業種の畑に飛び込んだ時は、自分が想像もしなかったような軋轢や誤解なども生じ、新しい職場に馴染むために、普通以上に時間がかかるはずです。最初の1か月くらいは、もうなにもかも投げ出して辞めてしまいたいと感じることが多々あります。それでも、辛抱強く続けていると、新しい仕事を心から楽しめるような変化も訪れ、すばらしい出会いもあったりするものです。なにごとも地道な辛抱が大切だなと教えられた、いまでは良い思い出の異業種体験でした。